基本情報
名前:平林 匠麿(たくま)
生年月日:1988年8月15日
職業:会社員(システムエンジニア)
趣味:ゲーム・旅行・格闘技鑑賞
好きな漫画:キャプテン翼・アイシールド21
好きなゲーム:Live a Live
好きなアーティスト:L’Arc〜en〜Ciel
好きな顔のタイプ:吉岡里帆
好きな言葉:人生一回悔いのないように生きる。(格闘家:魔裟斗さんの言葉)
幼少期〜高校時代:控えめな性格で内気だった
家族は父親・母親・兄・私。4人家族です。私は次男です。真面目で厳格な父親。優しくてとにかく(私には)甘い母親。
7歳離れていていつも厳しい兄。どちらかと言えば、少し裕福な方の家庭だと思います。
私が幼稚園の年長になる頃に一軒家が建てられてそこで実家を出るまではずっと暮らすことになります。
周りの友達と比べても家は広い方だと実感が湧いたのは小学生の高学年に入った頃でした。今思うと凄く恵まれた環境にいたのだと感じています。
そんな私ですが、あまり自分で意思を持っておらずとにかく「周りの目」を気にする性格でした。そのため内気で自分を出さないようにしてました。
とにかく目立たないように、嫌われないように。親に怒られないように など
自分より他人が軸になっていた印象です。
小学生から高校生は特に思い出を振り返ってもこれといって楽しかった事がないと思います。自分が出せなくて常に悔しい思いをしていました。
大学生:やりたいことが見つからずとりあえず進学
中学〜高校では自分を出せずにいましたが大学ではやりたいこと、なりたい自分になろうととにかく目立ってやる!!
そんな気持ちで過ごして髪を染めて髪を伸ばしてとことんやりきったと思ってます。
この時の変化が、私に「コミュニケーション能力」をつけてくれたと思っております。誰とでも気軽に話せるようになったと今ではこの時があって良かったと思ってます。
そして肝心の学校については・・・偏差値54くらいの普通の大学です。有名なとこでもないし大学名を言っても誰しもがわかるようなとこではないとこへ入学しました。
何かやりたいことがあって大学へ行くとゆうよりかは逆にやりたいことも見つからなかったからこそ「大学」で何かを学ぼうとゆう意思で行きました。
将来の夢ってありますか?って一度は聞かれたことがあるかと思いますが、正直全くイメージがなくてここまで生きてきました。
大学の4年間で「将来」に対して深く考えることもなくただ何となく単位を取って留年だけはしてはまずいとゆう「親の目」を気にして学校だけは休まないようにしてました。
気がつくと私自身も、社会人として新たな扉の門を開くことになります。この時は就職氷河期。周りの友人も結構な人数が就職浪人やフリーターになっていました。
私はやりたい事もなく、将来の自分が描けず「とりあえず」就職をしないでニートやフリーターは良くない!!と周りの目(世間体)を気にして正社員にはなっておきたい。ここでも周りの目を気にしてしまいます。
そんな中での就活ですが何とか就職は出来ます。正直やりたくもない仕事でしたが他に内定が貰えず、正社員としての登用だからとりあえず仕事できるから問題ない!と何も考えずパチンコ屋で働くことになるのです。今考えると安易な考えでした。
これまでの生活で「1人暮らし」を考えたこともなく”したい”とも想像すら出来なかった私がこの就職をきっかけに寮生活がスタートします。ここから徐々に自分自身”良くない”方向へ進んでいきます。
社会人1年目 半年も持たない退職
22歳の社会人。期待と不安で一杯なんて言われれば聞こえは良いですが一瞬で崩壊しました。一人暮らしで少しでもお金を貯めようとあらゆる方法で貯金を考えます。
食費、電気代など・・削減できるところはとにかく削減を意識していました。酷い日はチョコ一個と飲料だけとかもありました。そんな中の社会人1年目の4ヶ月目・・・
私の体に変化が起きます。それは身体中が傷だらけになっていたのです。痛みなどは全くなかったが栄養が取れておらず体が悲鳴を上げている状態でした。
この時の異変に気付かないでたまたま両親をご飯へ行くことになりました。
そして両親はすぐに異変に気付き「辞めて帰ってきてもいいんだよ?」と言ってくれました。この時の私はメンタルもやられていて、状況的にも今の状態ではまずいと感じ実家へ帰る(退職)を決意。
初めての就職は半年も持たない結果となってしまいました。正直、悔しさや落胆はありましたが何よりも「格好悪い」自分が情けなかったです。でも過ぎたことは仕方ない。すぐに行動を開始します。
諦めずに正社員を目指す
本来であればここで将来のことを真剣に考えて焦らずに決めれば良かったもののここでも親の目を気にしてしまい少し焦ってしまったと今では後悔しています。
大学時代で働いていたアルバイトをしながら就職活動を再開しました。半年後に1年働いたら社員として登用してくれる条件で「契約社員」として大手アパレル業界に就職しました。
しかし、この約束がなかったかのような状態で2年働くことになります。そして1年に一回必ず面談があるのですがこの時に「社員としての登用はどうなりましたか?」聞くと
何のこと?
と他人事のように言われてしまいました。納得のできない私とこの時あくまで”社員”にこだわっていた私。あまりのギャップに我慢ができず退職を決断しました。
ここで早くも二度目の失敗。そんな状態でも次こそは大丈夫。。。と再度動くことになります。世間体、親のせいにしているだけで本当は何も考えずただ動いていただけと今では反省しています。
退職後にとりあえずすぐ働きたいとなり新たな仕事先を決めました。
とりあえず始めた派遣社員:管理者の経験
三社目は派遣社員でテクニカルサポート窓口でのコールセンター業務です。一旦は正社員とかの前にちゃんと社会人として働いていたい一心で決めました。
ただそこのコールセンターは厳しくて1クラス30人の2クラスに別れて研修を受けるが”8割”がいなくなる狭き門でした。
結果、この狭き門を突破してしまい、2割の方に残りました。残ったはいいが仕事はかなり厳しく求められるスキルも高めでした。
1チーム20人くらいの体制で配属されます。私も研修を終え、電話を取ることになりますが最初の3ヶ月はどん底に突き落とされます。
成績は悪くて「ボトルネック」の扱いを受けてしまうのです。
似合わないよ、辞めたら?
人生で一番辛い言葉だったと思います。ただ簡単に諦めたくないとなり続けることになるのです。この「残る」決断が突然覚醒をし始めるのでした。
これ以上の下がない事から失うものがないのと散々な事を言われた反骨心から誰よりも真摯に向き合うことになります。強いて言うなら「反骨精神」が強かったです。
1ヶ月で状況が真逆になり、成績がブース内でも上位に食い込むことになるのです。
この時にすでに「ボトルネック」ではなく逆にチームの成績を引き上げる「エース」でした。そして1年に1回必ず来る「繁忙期」を経験し、優秀な成績を収めることに成功しました。
少し前の自分では想像できない状況でした。そしてこの成績が「SV」の昇格。管理者側へとなります。認められた瞬間でもあったのでより「頑張ろう」となりました。
この時の私は「正社員」より「会社で認められた」とゆうことが嬉しくて本当の目的を忘れているようでした。ただこの管理者の厳しさは想像以上でした。単純に違いで言えば・・・
「アドバイザーの辛いところ」⇨電話段々と嫌になって病んでくる。本数を取らないように1本の電話をわざと長くするような時間稼ぎに走る。
「管理者の辛いところ」⇨現場の成績次第で働く量の落差があまりに激しい、アドバイザーの成績不良で上司からとにかく怒られる。
お客様から理不尽な態度を取られたりすることもありますが逆に「感謝」をされることも沢山あります。似合わないとまで言われましたが今では経験して良かったと思っております。
反面、管理者(SV)は残業などの仕事の量や、理不尽に上司に色々言われて段々疲弊してしまうことはありました。
ただ立場的には貴重ですし、そんな簡単に手放したくない気持ち・貴重な経験から「我慢」はしてました。
必要とされていない職種に焦る現実
気がつくと管理者として3年の月日が経ちました。周りから見たら、上司であり立場的には管理職であり、給与もそこそこ。
不満についてもまあ我慢ができるレベルでした。しかしたまたま読んだ記事で不安を感じる様になりました。
将来無くなる業種ランキング
そんな記事をたまたま目にしてしまうのです。そこにはコールセンターの業種もありました。内容も読んでいて納得のいく文章でした。
残業の多さの不満などは少なからずあったのでここで心が揺れ動くのです。このままでいいのか・・・
不安を隠せなくなりました。このままでは自分はどんどんその厳しい世界で生き残りをかけて毎日不安な気持ちで過ごす必要があるのか?
人生で初めて、ここまでの選択肢は間違っている、何より何も考えずに行動してきたツケがここできている状態です。
そんなある日、Twitter(現在はX)の内容に目を奪われる形になりました。
未経験からでも勉強しながら「半年」でなれるシステムエンジニア
未経験?エンジニア?興味が湧いて内容を読むと『年齢:〜30歳くらいまで(要相談)』
派遣業務をしながら休みの日に勉強してエンジニアになろう。この時私はこれだ!!!!となったのです。
少し前に読んだ将来無くなる業種ランキングとは対照的に必要とされる職種にシステムエンジニアがあったのです。
まだ間に合う・・・そう判断した私はシステムエンジニアの勉強しながら現在の仕事、システムエンジニアの道を目指すのです。
すでにこの時点で3社目。世間的に言えば転職の数は決して少ないとは言えないと思います。転職活動する時も「不利」に働くのは当然。それでも今の状態では不味い!となりふりかまってはいられない状態でした。
30歳〜現在:エンジニアに転身
勉強しながらシステムエンジニアを目指す毎日が始まりました。決めたからには結果を出そうと必死でした。
とにかくどんなに眠くてもPCを開いて勉強をしよう。と、毎日何かしらの成果を上げようとゆう気持ちで望んだ半年でした。結果として私はエンジニアになれたのです。
希望は叶った、、、頑張るぞ!とエンジニアとして仕事が始まります。この時の目標は3年後に自分の理想像を考えてました。その理想が・・
フリーランスで自由に働いている
エンジニアとなる人の多くの方が目指す道だと思ってました。外からのイメージでもすごい収入を貰っていそうと思う方も少なくないはずです。
実際の私もそうでした。なのでゴールとまで行かなくても目指す目標としては明確だったと思います。
理想と現実⇨自分の目指した姿とのギャップ
エンジニアの現実
いざ目指して最初に感じたことはとにかくスキルを身につけるまでは大変です。学生時代に勉強していた訳ではなく未経験で目指すので普通の人より大変なのは重々承知の上でした。
むしろ社会人として”学ぶ”ことに抵抗はなかったです。ただそれ以上に周りを見て思ったことが
時間に縛られている人の多さ
休憩時間もPCと睨めっこしている。
休日出勤をしている。
残業時間が長い。
思ったイメージとは真逆のような世界を見ているようでした。カフェなどでPCを片手に仕事している印象だったり、とにかく「インテリ」なんて言葉がイメージがありました。
しかしそんなこともなく時間に縛られてました。全員ではないにしても私の知っているフリーランスの方も結構大変そうな姿を目にしてました。
時間が過ぎれば慣れて我慢できるレベルではあったのでどこかで納得せざるを得ない気持ちで自分の”本音”を心のどこかで出さないようにしてました。
時間についてもですが心のどこかで収入は増やしたい気持ちもありました。そこで副業をすることになります。主なものが力仕事でした。ただ出来れば在宅とかで稼ぎたい・・・
そんな気持ちから友人とYouTubeのチャンネルと立ち上げてみてひたすら動画を上げたりlive配信をしてみました。
少しでも今の生活から脱却しようと試みたものの「成果」なんてものは何一つ上げることは出来ませんでした。
やり方もわからず、テクニックもわからずで結局チャンネルは解体することになり、その業界は諦めることになりました。
その時に、お金を払って「編集ソフト」だけは残ってたのでせめて少しくらい何か使えないかと今も残してます。使う機会は恵まれませんでしたが・・・そして現在に至ります。
これまでの自分を振り返って 理想を追い求めてきた現実
ここまで私は人より”転職”を繰り返して今現在に至ると思っております。世間を気にして、そして両親から正社員がいいと言われ「安定」の道を望んで正社員として進みました。
ただ何も考えず目指した結果が現実は「大手だからって保証はない」です。現実もっと言ってしまえば一つ目の会社は事業縮小で私が配属されたところはもうないです。「正社員って肩書きってそもそも大事なのか?」となりました。
大手のアパレル業界の会社も倒産してます。その場にいなかっただけで運が良いと思います。「大手だからといって安定して仕事ができる訳ではない!」そんな現実を突きつけられました。
偶然にも「管理者」の道へ進み、やりがいもあったため頑張っていたが「時間」の縛りが大変でした。残ったのは貴重な「管理職」の経験くらいです。
現実給料面についても残業ありきで普通だったら最低限の生活は出来ても余裕があるかと言われたら時間を犠牲にお金に余裕を持たせるしかない状態でした。
プライベートは全く充実しません。そして仕事で言えば世間から必要とされないと言われいる状態です。
その現実から焦ってなんとか状況を変えないといけない!そう思い探してたどり着いた道はシステムエンジニアです。外から見ていてもイメージはとにかく仕事ができるエリート集団みたいな印象。
お金にも余裕があって休日はきっと充実している。フリーランスになったら理想に近づける!そう思ってました。中に入ると思っている世界とは違いました。
常に余裕がない
内緒で残業している人もいる
→何より残業が当たり前とゆう空気を出すブラック企業みたいな雰囲気
自分の理想に対して実際は時間に余裕もなくて、毎日が余裕がなさそうな現実に自分には理想ではなかったです。もっと華やかで余裕があって場所を選ばない自由なワークスタイルだと思ってました。
理想を求めて転職を転々としてきた私。だが年齢的にもう転職を考える余裕はなくなってきている状態です。我慢するしかありませんでした。
自分の思う『理想』を求め足掻き続けてきた結果です。全く後悔がないと言えば嘘にはなりますが現実はそう甘くはないと思ってます。
知識もなければコネもないしどうしたらいいのか
そんな時、ある日のキッカケでまたチャンスが巡ってきました。webマーケティングとの出会いです。
webマーケティングへの道を目指そうと思った理由
2023年の4月前後、前の会社で仲良くなった後輩と話す機会がありました。
この後輩は仕事を辞めてからも意気統合して現在も仲のいい後輩です。そんな中、彼は”ある”決断をしていました。
その決断が「webマーケティング」の勉強するためスクールへ入ることだったのです。私に一緒にどうですか?チャンスですよ?
と誘ってくれたのです。その時の私は魅力を感じましたが「お金」や「時間」のこともあり判断ができずにいました。
今すぐにはいいかな。。興味はあるけど・・・・
結果として断りましたが後になって後悔することになりました。スクールが始まって後輩は何かに取り憑かれたかのように毎日勉強をしていました。
その時の私は「大変そうだな」の感想しか思わなかったのですがそれは浅はかな考え方だと半年後痛烈に感じました。
半年後の後輩の変化→会話だけでわかる自信に溢れている様子
スキルを身に付けて成長した後輩は自信に満ち溢れていました。大変だけど毎日スキルが身に付く自分が楽しくてしょうがないと言うのです。
その様子を見ていて段々興味が湧きました。今どんなことをやっているのか差し支えがない程度に聞いてみました。その時の私は言葉を聞いても何となく「凄そう」と思うだけで理解には至りませんでした。
「興味」を持った私は自分で一旦調べてみました。この時、これから先、まだまだ需要があると知りました。
・今現在の世の中のSNSの普及。
・インターネット広告がマスコミ広告を上回っていることでこれからどんどん発展していく業界。
働き方についても様々とゆうこともわかりました。webマーケティング業界として会社に属する人、副業として働く人、独立して働く人。調べても色んな人がいました。
クライアントから仕事を受注したり、自分のWebサイトやSNSで運用したりと働き方がその人の生活基準で選びやすいことが印象的でした。
時間に縛られない・場所を選ばない→自由な働き方
この数年に悩んでたことを一気に解消できる内容でした。収入も自分の頑張り次第な部分が大きかったです。努力した分だけ成果になりやすいことが魅力を感じました。
時間に縛られない上に頑張った分だけ成果になりやすい。メリハリがつけやすい・・・本当に魅力的です。
これって自分が求めてた理想では?
後輩も同じようにエンジニアを辞めて色々探してたどり着いたのがwebマーケティング。
実は私と同じような状態です。だからより共感ができました。
今すぐ勉強に参加したい!
本当はその時すぐにカリキュラムの参加を希望しましたが、どうしてもそれは叶わないとのことでした。最短で半年後からの参加となると言われました。
この時の私は何も考えず次のスクールの参加を決意してました。目の前に実際に経験して新たな道を歩いている人がいます。成功した「事例」と言っても過言ではないです。
半年後に備えて今から出来ることを準備だ!
新たなる一歩へ
私は必要なことを揃えてました。PCを購入する、必要なお金を確保しておく。後は勉強を継続するだけの気持ちと体力。
ここをどうにかすべきと判断した私は「仕事をした後も勉強出来る様に」癖づけようと毎日体に慣れさせる生活リズムを構築。
意図的に仕事後、興味のある記事やニュースを読むようにしてどんなことがあっても毎日「1時間は勉強する」をテーマに動き始めました。それが今では活きていることに実感しています。
そしてスクール1ヶ月前・・・ついに私もその舞台に立つ時が近づいてきました。ただこれから始まる上で勉強をする時間も増え、「プライベート」な時間を削られることは確実です。そこで出した結論が、後腐れなく来月を迎えること!!
「風来のシレン6」⇨100時間くらい
「FF7リバース」⇨80時間くらい
勉強が始まって後悔したくないので全てクリアをして気合いを入れました。
好きなゲームに対して「中途半端」にしたらこの後も上手くいく訳がないと感じて「本気」で打ち込みました。
思い残すことはなくなった。この「本気」を勉強にぶつけてやる!!
前もって準備してきたこと、1年前に始めて少しづつ成功の道を歩いている後輩。
俺も追いついてやる。迷うことはない、やってやるぞ・・・・長い戦いが遂に始まったのです。